浜四津敏子元公明代表を偲ぶ

昨日の時事通信がマスコミの初報だったかもしれないが、公明党の浜四津敏子元代表代行が2年前に亡くなっていたことが発表された。遺族の意向で党は発表を控えていたというが、残念な結果である。1990年代半ば、公明党は自民党に対抗してできた新しい固まりの政党・新進党への合流を一括では行わず、まずは衆院議員のみを先行合流させて様子を見るという奇策を用いた。そのため残された参議院議員と地方議員とでつくる「公明」と分離された時代がある。その分離政党の代表に就いたのが浜四津氏だった。人権派弁護士あがりで、いわゆるハト派の政治家に位置づけられる。新進党解体に伴い、衆議院議員が戻ってきて再び統一体としての公明党が再結成される形となったが、その後同党は99年に自民党との連立に踏み切った。その直前の通常国会でいわゆるガイドライン関連法案や通信傍受法案など従来の公明党のスタンスでは認められない法案が目白押しでそれが当時の自民党による公明党への「踏み絵」のようなものだったが、浜四津氏はある会合で通信傍受法に反対する意見を公式に述べた(私はその場で聞いていた)。漆原良夫元国対委員長なども当時、同法案に反対していた著名な議員の一人だ。それから四半世紀。浜四津氏が健在で、多少の影響力を残していたら、いまの公明党とは毛色が変わっていた可能性がある。ウクライナ戦争に刺激されて世界が軍備増強に進む中、日本こそはそれに逆行する別の流れをつくろうと努力したであろうと思う。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。