勝ちと負けを経験する意味

人間の人生において勝利の連続などというものはありえない。勝ちと負けの両方を経験することによって、初めて物事の意味を理解し、大きく教訓に変えることができるという例は歴史上多々あった。卑近なところではまずは安倍政権だろう。本人いわく、第2次安倍政権の成立と存続は、第1次の失敗がなければありえなかった。これは過去の失敗をバネに、成功?に結びつけた一つのわかりやすい実例であろう。また現在、NHK大河ドラマで描かれる徳川家康もむしろ最初は負け続けで、一時は武田信玄に滅ぼされる直前まで行った事実は象徴的だ。武田がたまたま胃がんで急死したから家康は生き延びることができたようなもので、人の運命というものはわからない。個人的には私も名誉毀損裁判で勝利と一部敗訴の両方を経験したことにより、初めて勝利だけでは見えないものが見えた面がある。教団においても「常勝関西」は、昭和31年の参院選挙の「まさかが実現」の勝利だけでは成立しなかった。翌年の大阪選挙区補選で敗北し、負けの悔しさが身に染みて感じられたからこそ、関西は固まったという声を往時の当事者から聞いたことがある。

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