社会悪としてのサイコパス

サイコパスのキーワードには「良心の呵責がない」「ウソをいとわない」のほかに、「身勝手な行動」「人を操作する」などがある。サイコパスの行動を注意してみていると、その「身勝手さ」には驚かされることが多い。

サイコパスの多くは、本能による欲求に打ち克つことができない。人間の根源的欲求である「カネ」または「異性の肉体」などをいいように貪る。彼らの行動の目的を観察してみても、行動の拠り所はせいぜいが自分の「小さなメンツ」程度だ。

そうした自己本位な目的のために、周りの多くの人間を巻き込むこともしばしばだ。

巻き込まれた人間の特徴は、自分の弱みを鋭く見抜かれていることだ。サイコパスは他人の弱みや望みを敏感にかぎ取り、その者たちの望みをかなえながら、巧妙に自分の都合のいいように取り込んでいく。こうした芸当の卓越性はサイコパスならではの特徴的なものであり、ふつうの人間からすると驚かされるようなことばかりである。ただしこうして「捕食」された者たちは、後で冷静に戻ったときに、なぜ自分はこのようなことに従ったのだろうかと自責の念にかられることも多々ある。

サイコパスは巧妙に自分の力を誇示し、相手を威圧することは自分の当然の権利と思い込んでいる。サイコパスの周りの者は、この人間の行動はおかしいと感じながらも、多くの者が声を出せない状態に陥る。これもサイコパス特有の「才能」というべきものだろう。

ただしサイコパスの行動目的は、冒頭に記したように、あくまで自分の「本能」か、さらにはせいぜいが「自分のメンツ」を満たすため程度の自己本位に根差したものだ。そんな些細なことのために、多くの周辺の人間を巻き込むサイコパスの行動は、社会の害悪そのものである。

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