F君の思い出

私が高校生のとき、同じ学年でツッパリ系で目立っている同級生がいた。名前をFという。何かのきっかけで親しくなり、彼の家に何度か遊びに行った。実はFの父親は私の小学生のときの恩師(担任)だった。玄関から通されると、Fは私に「ちょっと待って」といって座敷に通すと、後ろで座って待つように頼んだ。Fは仏壇に向かって何やら唱えている。ツッパリ高校生とお経を唱える彼の姿が大きなギャップだった。その時間はおそらく10分ほどだっただろうが、私には30分以上にも感じられ、非常に退屈な気持ちになったことを覚えている。後年、大学生となって上京し、アルバイト先の婦人から信仰を勧められたとき、「ああFがやっていたのと同じものだ」と合点がいったことは、入会する“伏線”になったと感じる。Fは7年前のこの季節、50歳の若さで亡くなった。私にとっては恩人ともいえる存在だったが、日常の忙しさにかまけ、友人らしいことを何もできなかったことが心残りになっている。私の記憶では、高校の売店の前でFが親しげに話していた1級下の後輩がいた。いまは国会議員をしているが、2人のつながりが信仰を介したものであったことを“理会”したのは後になってからだ。

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