靖國信仰と法華経信仰の共存

かつての大日本帝国を懐古する日本会議系の議員が多い自民党と、法華経信仰を基盤とする公明党が連立を組んでおよそ20年となる(政権与党から外れた期間を除外する)。もともと信仰の根幹がこれほど違う政党が政権与党として一緒に仕事をすることに対し「野合である」との批判はしばしば受けてきた。たしかに信仰次元でとらえれば、水と油だ。歴史的にも創価学会の初代会長と2代会長は国家神道を根本とする軍部政府による弾圧で逮捕され、初代会長は獄死した経緯がある。その意味では神道は初代会長の仇敵でしかない。だが信仰次元と政治次元はまったく異なる位相との割り切った考え方もある。宗教が絶対的信念を価値とするのに対し、政治的信念は相対的なものという違いがあるからだ。政治はあくまで政治レベルで民衆の幸福に寄与するものであり、宗教次元とは別という考え方である。その意味で法華経は多くの他宗を包含する寛容性をもつ宗教ともいえよう。世界規模でいえば、キリスト教やイスラム教など多くの宗教と「宗教間対話」を行い、平和や環境といった宗派を超えた普遍的価値のために協働作業を行っているのと同じことで、それを日本国内においては政治次元で適用していると見れば、さほど違和感はないかもしれない。だが根本の思想的土壌が異なる以上、政策次元の思惑がぶつかる事態が生じるのは必然だ。これまでそのたびに話し合いのもとで結論を得てきたといえるが、ここに来て憲法改正や先制攻撃を認める議論などが続出してくると、ある意味、「限界点」に達した感はいなめない。岸田政権にそうした微妙な政治的テーマが自公間の関係を壊しかねないことへの警戒感は希薄に見える。

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