「倒錯」した人間が受ける時代

戦前・戦中の神国思想を信奉するような人間が増えてきた。その象徴のひとつが2004年11月の右派論壇誌『WiLL』の創刊であり、2006年の第一次安倍内閣の誕生だった。安倍政権は第二次内閣と合わせ9年近くに及び、本人が「10年続けば保守地盤が確立される」と述べたとされるとおり、完全にこの国の右傾化は定着した。この場合の「保守」は「穏健保守」ではなく「極右」といってよい。民族差別は当たり前になり、かつての穏当に見えていた日本社会は大きく変質した。そんな中にあって自己顕示欲の強い人間ほど活躍の場所を見つけて、以前ならありえないような行動に出る者も出てきた。門田隆将などはその典型であろう。自らが極右の政治運動家のメンタルを持ちながら、思想的な攻撃対象である朝日新聞や毎日新聞の記者を逆に「活動家」と罵り、活字にしてきた。実際は思想こそ対極ながら自らは同じ立場であるのに、論敵を貶めるためにとるこうした短絡的・お粗末な手法は、およそジャーナリストの行動とはいえない。逆に自ら「活動屋」であることを証明する行為ともいえる。現在はこうした「倒錯」した感覚の人間が受ける時代だ。それだけ時代の思考能力が衰え、プロパガンダに流されやすい社会に劣化してしまった証左とも感じられる。SNS時代も密接に関連している。

事実かどうかを冷静に議論し、より正しい方向に収束するような過程は完全に薄れた。「倒錯」した時代は、「倒錯」した人間によって作られる。どちらが先かという議論と同じことになるが、「倒錯」した時代相を、「元の普通」の時代相に戻す必要を感じてやまない。

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