異論を許さない心性について

「反日」とか「内なる敵」といったラベリングが盛んな時代である。これらの言葉をもっとも多くの頻度で使ってきたのが、私の知る範囲では、門田隆将こと門脇護である。自分と異なる意見表明を受け入れそれと議論を戦わせるのは健全な民主主義社会を形成するためのルールのようなものだが、彼らは自らの行動においてそれらを認めようとはしない。要するに異なる意見を「敵」呼ばわりして、排除しようという意識が濃厚に働いていることを示す言葉といってもよい、わかりやすくいえば、これこそ「カルト」の心理そのものだろう。彼らの思想からいえば、「靖国カルト」と名づけてもよいかもしれない。異論を包含しそこから発想するのが「保守」と定義するとすれば、彼らは真正の保守とは真逆の立場にある。それでいて我こそが保守として振る舞っているのが、彼らの特徴だ。そこには時代の闇、時代の病理が端的に示されている。

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