日本共産党という生き物

日本共産党をウォッチして20年以上になるが、この党ほど本音と建て前が乖離している政党も珍しいと感じる。最近は「命が大事なので五輪中止」と今日も小池書記局長が機関紙上で主張しているが、それはあくまで建て前で、本音は五輪開催中にコロナ蔓延して、総選挙が戦いやすくなる、というのが本音だろう。暴力を伴うことが歴史的に必然の共産主義政党であるにもかかわらず、日本を平和的に共産主義革命するというのも実は建て前だろう。本音は政権をとり、権力を掌握すれば、あとはどうとでもなるといったところか。日本の有権者はあいもかわらず、同党の「建て前」だけを見て、それが本音であるかのように錯覚する人が一定程度いる。私の印象ではまじめな人に多い。実は自分もかつてはそんな一人だった。だが同党の過去の歴史的な検証と、他国の共産主義政党の帰趨を知れば、そんな単細胞かつ近視眼的な物の見方がいかに危険な結果を招くか、愕然とする。

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