竹中労『庶民列伝』から学んだこと

私が伝説のルポライター竹中労の謦咳に接したのはまだ20歳を出たばかりの学生のころだった。当時竹中は月刊潮で「庶民列伝 牧口常三郎とその時代」を連載しており、それと同時進行でルポルタージュ研究会を定期開催していた。青年読者の要望に呼応した企画だった。牧口常三郎は1871年生まれ、1944年に獄死するが、当時は1986年だったので、115年前に生まれた人物を竹中は調べていたことになる。覚えている数少ない教えの中の一つは、「牧口の史実を追うのはルポルタージュとしてはすでにギリギリになっている」という言葉だった。つまり牧口と同時代に生き、牧口のことを証言できる人がこの世に存在するギリギリのタイミングという意味だったと認識している。こういうことを思い起こしたのは、私がいま評伝を書こうとしている人物が、ちょうど114年前に生まれている計算になるからだ。振り返ると、竹中の言った言葉がよく理解できる。幼少期のことを知る人はもう生きていない。青年期についても同様だ。残された史料・資料をもとに年表を作成し、合理的な推測を重ねる局面が出てこざるを得ない。竹中はそうした工程を「三角測量」という言葉で当時私たちに示した。人物をルポルタージュできる年代的限界は、そのくらいにあるという教えだったといえる。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。