トップリーダーの「弛み」がもたらすもの

アメリカで40万人、ブラジルで20万人が新型コロナウイルスに感染して命を落としたことになっている。昨日、世界で200万人がこのウイルスで死去したことが報じられた日、今夏の東京オリンピックの開催が難しいかもしれないとの報道がニューヨークタイムズによってなされた。この種の報道に接するのは初めてだが、いよいよ来るものが来たという感じだ。

アメリカもブラジルも、政治のトップリーダーがコロナを軽視し、初期対応に大きく間違ったメッセージを国民に発したことで共通する。いまも米国市民には、コロナなど存在しないと信じ込んでいる国民もいるという(昨日付毎日新聞)。同じことは日本でもいえる。ゴーツートラベル事業が感染拡大を単純に引き起こしたとはいえないとしても、その事業がもたらした世の中の空気は「弛み」を拡大しただけだったと感じる。だからこそトップリーダーは、経済を維持するためにこの事業が必要であることを訴えながらも、その一方で感染リスクは何も変わっていないこと、むしろ強毒化している可能性が強いことなどを明確に発信し、「弛み」が生じないように最大限の配慮を怠るべきではなかった。トップリーダーの「弛み」の象徴が、首相を含む自民党幹部らの連日の「会食」報道だった。こうした雰囲気が国民全体の「弛み」に直接的に波及したことは否定できない。

トップリーダーの心のありようがそのまま国民全体に反映される法則は世界共通ともいえる。仮に東京オリンピックが中止になる場合は、そうした「弛み」を国全体に蔓延させた(=危機管理に大失敗した)責任をトップリーダーが取らねばならないことは、「結果責任」の世界においては明白だ。

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