今回あえて上告を行わなかった理由

すでに「裁判記録」のところで報告している通りだが、5年あまり前に妙観講の大草一男が突然訴えてきた裁判について、このほど上告期限の8月18日をすぎたが、今回はあえて上告を行わないことにした。理由は、東京高裁判決が、司法の最高機関である最高裁判所で確定する“最悪の事態”を避けるためである。
ご存じのとおり、日本の最高裁は99%、事実審理を行わない。最高裁で判断が変わるという事例もほとんどない。通例は半年ほどたったころに、上告棄却か上告不受理の通達が書面で送られてくるだけである。
今回の私の裁判では、1991年に連続的に行われた妙観講幹部の手による違法盗聴事件に関する記述について、公共性も公益性もないという驚くべき判決がくだされた。その理由として、高裁判決は刑事的に公訴時効が成立していることを挙げているが、その理屈でいけば、例えばえん罪事件の自由な論評なども行えなくなってしまうことになる。ましてこの事件は、違法行為を発注した窓口が当時の妙観講幹部であったことがすでに≪確定≫しており、焦点は≪本当の依頼者≫がだれなのかということであり、その意味では、いまだ未解決の事件というしかないものである。またそのための解明作業が、その後もずっと言論の応酬という形で続いてきた問題である。
すでにふれたとおり、裁判所からすれば、公共性・公益性を認めてしまえば、真実性・真実相当性の判断を余儀なくされるため、結果的に真実性・相当性を認める認めないにかかわらず、両当事者の膨大な量の主張内容や証拠を精査し、判断を下さなければならなくなる。今回裁判所は、公共性や公益性という前段階においてあえて“足切り”することで、そうした「苦労」を避けたものと受けとめている。
もう一度書くが、違法盗聴事件を起こしたという行動そのものに、≪道義的な時効≫などというものは存在しない。≪真の発注者≫がだれであるかは、残念ながら裁判では確定できていないが、目的のために手段を選ばなかったという歴史的事実は、今後も永遠に残る。

【裁判記録(最下段)

http://www.yanagiharashigeo.com/html/modules/trial/content0005.html

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