問題とされた4件のコラム

今回の裁判で問題とされたのは、以下の4件のコラム日記である。具体的にタイトルを列記すると、以下のようになる。

●「違法盗聴に関与した」と相当性を認定された『阿部日顕』直属の謀略集団「妙観講」(2007年1月12日付)
●「門田隆将」こと門脇護のやったこと(中)  「富士宮」から洩れた「捏造・談合」の証拠(2008年3月12日付)
●「妙観講」が近く全国大会か(2009年4月10日付)
●「盗聴教団」日蓮正宗の20年(2011年11月28日付)

4件の記事は便宜上、裁判審理においては上からコラム1~4の番号がふられていたが、ここでは大草の社会的評価を低下させない(=名誉棄損には該当しない)と裁判所によって認定された、コラム2の記事を再掲する。

2008/03/12(Wed) 「門田隆将」こと門脇護のやったこと(中)  「富士宮」から洩れた「捏造・談合」の証拠

「週刊新潮」の門脇護・副部長が、新潮社時代に犯した最大の犯罪的行動は、やはり函館の信平夫婦を使った「でっち上げキャンペーン」であろう。それは96年2月から約3年間にわたって続いたが、夫婦が起こした訴えは、「事実的根拠が極めて乏しい」との理由で≪訴権の濫用≫として却下され、01年6月に最高裁で確定した。裁判では、新潮のキャンペーンがいかに事実無根の内容であったか、多くの証拠写真や証拠のテープで裏づけられている。まさに煙のないところに煙を無理矢理に立てたのが、「週刊新潮」の一連のキャンペーンだったとさえいえる。
よく知られることだが、この記事の先鞭をつけたのが、当時、編集部「次長」であった門脇護デスクである。同デスクは96年2月、函館を訪れ、直接、夫婦に取材を行っている。そのとき取材の手引きをした人物は、この事件の「背景」を知るうえで重要な手がかりを示す。妙観講――。当時から、日蓮正宗法主だった阿部日顕の“直属部隊”とされていた組織で、近年は、盗聴疑惑が裁判所に認定されるなど、阿部日顕の諜報機関的な役割を担ってきたと見られる活動家グループである。
手引きしたのは、そのナンバー2であった「佐藤せい子」という副講頭と、佐貫某という男性信徒の2人。佐藤は過去に、妙観講・講頭の大草一男と同棲した経験をもつ人物として知られる。もっとも、現在大草の妻である佐藤の実妹も一緒の同棲ではあったが‥‥。
そうしたグループが新潮の担当デスクを“引率”して「謀略」を仕掛けたのが、この信平狂言事件だった。当時、阿部日顕は、米国シアトルで起こしたスキャンダル事件(現地の売春婦との支払いをめぐるトラブル)を報じられ、名誉毀損訴訟を起こしていた。その裁判はその後、記事内容の「真実性」がすべて認められることになるが、こうした≪真正のスキャンダル≫の“意趣返し”として、彼らは、≪架空のスキャンダル≫をでっち上げてきたわけである。
もともと、函館の信平夫婦といえば、すでに当時、金のためならなんでもやる人物として地元では知られていた。実際、96年6月に狂言訴訟を起こしたあと、夫の信平醇浩は周囲に「もうすぐ億単位の金が入る」などともらしていた事実がある。
ともあれ、門脇デスクは取材を敢行するも、当初、想定していたような「被害」なるものを聞き出すことはできなかった。そこで彼が言った言葉は、「最初のパンチがものすごいものでないとダメなんです」。さらに「何とかして訴訟を成立させたいと思って聞いているわけです」。この段階ですでに訴訟を前提に取材していることがよくわかる(夫婦の訴訟提起は、それから4カ月後)。
さらには、「うん、民事の訴訟できますよ、民事しかない!」
後に誌面に掲載された被害内容が真実なら、明らかな刑事事件であったにもかかわらず、刑事告訴を避け、あえて民事訴訟による損害賠償請求でいこうと知恵を授けている。刑事事件としては耐えられないような、客観的根拠の薄弱な内容と担当デスク自身が認識していたからにほかならない。
このときの生々しい取材テープは、後に外部流出することになる。発信元は「静岡県富士宮市」。つまり、日蓮正宗の総本山所在地であり、妙観講筋から洩れたとみるのが自然であろう。
この問題で結局、政党機関紙で同事件を取り扱った時の総理大臣は、3度にわたって謝罪した。一方、同じ問題で“猿回しの猿”として踊らされた「張本人」である門脇デスクは、謝罪の言葉をおおやけにしたことはこれまでに一度もない。それどころか、非を認めようとしない態度を今もとっているとさえいわれる。
「でっち上げ」のキャンペーン報道に火をつけ、さらにそれが決定的な「誤報」であったことが明らかになったあとも、彼は何らの責任も取ろうとしないまま、平然と仕事を続けてきた。

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