◆門田隆将2 週刊誌の最後の時代

 門田隆将こと門脇護(61)が新潮社に入社したのは1983年のことである。配属された先の「週刊新潮」は1956年に創刊され、出版社系週刊誌の中では最も古い歴史を持つことで知られ、最多部数を誇っていた。この雑誌が部数のピークを迎えるのは86年くらいとされているから、門脇はその全盛期に編集部に在籍したことになる。まだインターネットなど存在しない時代――。新聞でやれないことを週刊誌は競って商売のネタにした。新聞批判はその重要な一角だった。同誌は保守系の論調で知られ、当時から朝日新聞社は主要な攻撃対象の一つだった。もともと同人は学生時代は朝日新聞の本多勝一記者の影響を受けていたようなので、保守的傾向を持つに至るのは新潮社入社後、職業的に形成された面が大きいと思われる。「週刊現代」の編集長をつとめた元木昌彦・元編集長は、週刊誌はこれまで2度の危機があったと書いている。1度目はバブル崩壊後の1992年、2度目が2009年になって週刊新潮の始めた「朝日新聞阪神支局襲撃事件の実行犯の手記」が、捏造であったと問題になったときだ。実はこの2度目の危機のとき、門脇はすでに同社を退社していた。その後、週刊新潮の部数は右肩下がりで下がり続け、同人の退社時に70万台あった発行部数は、最近では20万台と低迷している。「廃刊」もすでに秒読みといわれるほどだ。結果的に、門脇はもっとも「よい時代」に編集部に在籍し、もっとも「よい時代」に会社を辞めたことになる。(不定期連載)

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。