ころころと代わった裁判官

 日蓮正宗妙観講の大草一男が5年近く前に突然訴えてきた裁判で、控訴審は約1年かけて行われた。その間、控訴審判決の期日を入れて4回の弁論が開かれている。だがわずか1年で、裁判長をはじめとする裁判官がこれほど目まぐるしく変わった裁判も珍しいだろう。累計で7人が関わっている。具体的には以下の通りだ。

  第1回  高世三郎、中島基至、福島かなえ
  第2回  高世三郎、中園浩一郎、福島かなえ
  第3回  阿部潤、中園浩一郎、篠田賢治
  第4回  阿部潤、日下部克通、篠田賢治

 左端は裁判長だが、当初、高世三郎裁判長は一審判決を見直すようなニュアンスの態度をとったので、控訴人である当方および当方の代理人は一定の期待を抱いた。なぜなら大草が関与したと疑われた盗聴事件について、一審判決は公益性がないと判断していたからだ。そもそも「盗聴」そのものは犯罪行為であり、司法がこれに対し公共性や公益性がないと判断することは常識的にも無理がある。もし無理があるとなれば、判決では当然ながら真実性および相当性の判断領域に踏み込まざるをえなくなるからだ。
 ところが裁判官の立場にたつと、そこには躊躇する別の理由があったことも容易に推察される。過去の関連する裁判記録の集積があまりにも膨大で、それらも総合的に精査した判決を書くには、物理的にあまりに大きな時間と労力を要することは明白だからだ。この裁判で、そこまでして、とことん正しい結論を見出そうとする裁判官がどれほどいるのかという問題である。
 話を戻すと、高世裁判長が上記のような態度をとったため、当初は期待をもったものの、途中で阿部潤裁判長に交代し、その間、陪席裁判官も総入れ替えの形となった。その証明として、1回目の3人のうち、判決まで残った人物は一人もいない。
 この裁判で問われたのは、あくまで大草が違法盗聴に関わったかどうかの真実性および相当性だった。そのための双方の主張、立証がこの裁判においても膨大になされてきた。裁判の経緯から、大草の盗聴関与の真実性・相当性の判断に踏み込んだ100ページを超える、この問題の“最終決着”となるような判決を当方は期待していたわけである。だが、それは期待外れに終わった。
 今回の高裁判決はページ数はわずか16ページ程度で、「一週間もあれば書けそうな判決内容」(関係者)にすぎなかった。判決では問題となったコラムが、盗聴事件から20年後に書かれたことを公益性・公共性がないことの理由の一つにあげているが、その間ずっと「争点」として継続してきた問題である。その意味では、25年の歳月をへて、司法的に最終決着が図られたとは到底考えられない。高裁判決は、大草の盗聴関与の真実性・相当性の判断を全く行わない(=裁判官が面倒を回避した)ものにすぎなかったからだ。

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