判決で木っ端みじんに弾劾された足軽3人組(下)

3月26日東京地裁判決の結論部分には次のように記されている。 「原告らの目的は、根本的かつ究極的には、本部指導監査委員会の指導を含めた在り方に異議を唱えて自らの理屈を通すこと、被告が原告らの要求に応じるまで自己の主張を述べ続けること、あるいは自らの言い分が通るまで被告に説明を求め続けることにあったものと容易に推認でき、原告らの上記供述は、原告らの行動が被告の幹部に対して面談を求める直接行動を繰り返し続けるというまでにエスカレートしたという問題の根本を煙に巻こうとする詭弁というほかない」(P30)  この裁判の「原告」は足軽3人組、「被告」は創価学会である。要するに、謙虚で中立な姿勢で物事をとらえようとする態度ではなく、原告3人のいわゆる「勝つまでジャンケン」にとらわれた小学生のような未熟な心理をとらえた認定と思われる。繰り返しになるが、先輩世代であった足軽一派は、後輩らが謝罪の意を示したにもかかわらず、それを許さず、事を収めようとせず、自らの自己正当化のみにひた走った。そこには自身を省みる客観的な視点は皆無であり、この時点で彼らの信仰は法華経ではなく、法華経に名を借りたカルト信仰に陥ったといわざるをえない。  その証拠に彼らにとって極めて不都合な判決にほかならないこれらの内容について、HP上でのコメントは次のようなものだった。「判決文の内容は、私たちが約3年に渡って主張した内容が全くと言ってよいほど精査されていないものでした。  私たちは控訴を決意し、さっそく準備に取りかかりました。 『然どもいまだこりず候』  学会本部を変革し、師の理想とする創価学会に変革していくという大願を果たすため、いよいよの決意で、死に物狂いで闘い抜いて参ります!」  都合の悪い指摘は目に入らず、耳にも入らない。彼らは偏狭な迷路に入り込んだ、カルト信仰の体現者そのものに見える。

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