レイテ沖で九死に一生を得た祖父

天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問したことはわが家にとっても感慨深い出来事である。70年前の先の大戦において海外で最多となる約52万人の日本兵が戦没したフィリピン戦線で、私の父方祖父も、昭和19年11月、レイテ島沖の任務についていて輸送船を爆撃され、船が沈没し、海に投げ出され、九死に一生を得た体験をもっていた。33歳のときである。
一方、同じフィリピン戦線で、祖父の二歳年上だった長兄は、昭和20年7月、35歳のときにルソン島で戦死した。そのため靖国神社に祭られたことになっているはずである。
戦後、祖父は一家の柱となり、兄の子どもたちの面倒もおりにふれて見ていたようだ。幸い、祖父は生きて帰ることができたので、大学をすぎたころから、私も戦争の話を意識的に直接聞くようにしていた。
同じ国で戦いながら生死を分けた二人の兄弟。祖父は戦地で三度にわたり死にそうになったと語っていたが、当時の日本にはそうした話が無数にあった。

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