政治権力との一体化をジャーナリズムと勘違いする人びと

1週間ほどの出張から戻ってくると、いつも家の新聞が20~30センチの高さでたまっている。在京6紙に加え、政党機関紙、いまは沖縄2紙もとっているので結構な分量となる。それをおよそ1週間かけて処理する(=読む)のが通例行事となっている。たまたま今日開いた10月22日付の「琉球新報」では、「窒息する知」と題する記事の中で、学術会議任命拒否問題が扱われていた。そこで使われている写真は、スマートホンに映し出された門田某のツイッターを写真にしたものだった。門田が発信したデマを批判的に掲載しているわけだ。これは「琉球新報」が独自に掲載したというより、共同通信などの配信記事かもしれないが、門田某のデマは最近、多くのメディアで取り上げられ、批判的に扱われている。デマがデマとして正当に評価されるようになるのは、民主主義社会においては健全な作用と思われる。彼らは政治権力と一体化し、その主張を代弁することこそが「ジャーナリズム」と勘違いしているようだ。かつての大本営発表を無批判に擁護するのと同じことである。

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