なぜ共産党ではダメなのか ~ 殺人鬼と化す「主義」としての宿命

共産主義がどれほど多くの人間を殺してきたか、ご存じだろうか。その数は世界累計で1億人にのぼるとされている。権力闘争における粛清、大量殺りく、内戦による死、それら一切合切をひっくるめた数字とされているが、この1億という数は、「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の2度の世界大戦で命を落とした軍人・民間人の総計に匹敵する。

当然ながら戦争は人間同士が公然と殺し合う行為だ。そのため死亡者が出るのは当然の帰結だが、共産主義思想はそうではない。「平等な社会をつくる」といった綺麗事を前提としながら、その形成過程で起きた殺害行為であり、理想と現実の乖離という点で、戦争犠牲者よりも、その道義的責任は一層重いといえるだろう。

20世紀の独裁者としてはヒトラーが有名であり、ナチズムによるユダヤ人虐殺がよく引き合いに出される。その犠牲者数は500万人といった数字だ。それに比べ、共産主義思想を淵源とする殺害・死亡数は、ケタが2つも違っている。要するに、共産主義は≪殺人鬼思想≫と言い替えてよい。

「主義」の前では人間は道具にすぎず、主体とはみなされない。その結果、人命はゴミ同然の軽さとなってしまう。20世紀は各国でそのことが実験証明された世紀であり、近年も北朝鮮などでその実態は広く知られる。運の悪い者は人権抑圧され、すぐに殺される社会なのだ。

同じ体質が、日本共産党のDNAの中にもきっちり埋め込まれていることは間違いない。有権者はその前提となる事実を忘れてはいけない。≪平和の党≫は便宜的な見せかけの姿であって、本質はいつでも≪暴力主義≫≪殺害主義≫に転化する可能性をもった集団にほかならないのだ。

 

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