日本共産党のウソだらけの党史⑤

本日付のしんぶん赤旗で、昨日の衆院議院運営委員会の理事会で、日本共産党の塩川鉄也議員が「わが党が暴力主義的破壊活動の方針を持ったことは一度もない」などと、またも目に余るようなウソを繰り返したことが報じられている。この党はどうしてこのような正反対のウソを堂々と繰り返すことができるのだろうか。

同党が1951年に採択した綱領に「51年綱領」というものがある。徳田球一が中心になって制定した同党としての初のまとまった綱領だったが、不破哲三や志位和夫の直接の師である宮本顕治も、この綱領を「正しい綱領」「輝かしい新綱領」ともてはやしたいわくつきの綱領だ。この綱領の中で、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがい」と同党はハッキリ記載し、さらに具体的な暴力行動を党として決定した過去がある。その決定に従い、同党の火炎瓶事件や殺人事件は展開された。繰り返すが、このいわくつきの綱領を、不破や志位の政治上の師匠は「輝かしい綱領」と肯定していた。また当時の徳田体制は同党の完全なる主流派であり、上記の決定は同党のまぎれもない“正式な決定”にほかならなかった。その上で冒頭の議員の発言を見てみよう。

厚顔無恥、黒を白といいくるめる――。そうした事実隠蔽の手口は、彼らがいま一生懸命批判している安倍首相のごまかしの姿勢と何ら変わるところはない。逆に年季が入っているだけに、共産党のほうが悪質性はより高いと私は考える。

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