自民族中心主義の成れの果て

日本社会がこの十数年、右傾化を続けてきたことは疑いようのない事実だ。「日本が右傾化している証拠はない」などという主張を時折見かけるが、当方の定義でいえば、その中心的な尺度が「自民族中心主義」ということになる。本日もそうした風潮を象徴する書籍広告が目についた。産経新聞には『別冊正論』の発売広告が掲載されている。タイトルは『一冊まるごと櫻井よしこさん。』。もう一つは読売新聞に掲載された講談社の書籍広告『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』である。著者は、この種の書籍で最近活躍中のケント・ギルバートである。

これらの本の特徴は、日本を持ち上げること、その結果周辺の韓国、中国を中傷することで、日本民族のほうが優れていると受け取られるような言説をあからさまに主張することだ。そうした考えがあるため、過去の戦争における責任においても、旧日本軍の責任を過小評価するか、責任を全否定する考え方に立つ傾向が強い。その結果、南京虐殺はなかった、慰安婦は売春婦にすぎなかったなどという歴史的事実の改変を試みる点で共通する。

櫻井よしこに至っては、張作霖爆殺事件は日本軍の犯行ではなく、共産主義者の犯行という所詮は「陰謀論」を鵜呑みにするような感覚の持ち主だから、言論人としては、ネトウヨ言論人の範疇にほかならない。

我々が戦後、数十年たって、戦前・戦中の新聞や雑誌を目にすると、偏った報道姿勢に驚くばかりだったが、現在の状況も、後年になって振り返れば、似たような印象を抱かれるようになるだろう。戦中、軍部に迎合し、提灯持ちを務めた言論人は少なくないが、安倍政権のプロパガンダを垂れ流してきた産経新聞、さらにそれらのシンボル的存在にほかならない櫻井よしこなどが、それらの象徴的存在となるだろう。

後世の人々がふり返って、「あの時代は異常だった」とならなければ、国際社会にあって日本はまともな国家として進展していかないものと思われる。

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