当ブログが足軽4人組にとって都合の悪い理由

足軽会の問題は別段複雑な問題ではない。極めてシンプルな問題だ。裁判を起こして最近も完全敗訴した「3人組」の問題は、信仰姿勢において「自省」する視点を持ち合せているかどうかという問題にすぎない。彼らは神奈川県川崎市の学生部時代に起こした自らの不祥事のおいて、仲裁を受けた際、自分たちの非を全く認めなかった。一方逆の側は、自らの非を一部認めた。この違いである。どこまでも頑なに自己主張のみを繰り返す。平たくいえばこれを「カルト」と呼ぶ。法華経の信仰に「カルト」は存在しない。本尊は自らを映し出す鏡であり、周囲の先輩や同僚などから指摘を受け、自らの行動や立場を振り返る。そうして自らを向上させていこうとするのが教団の伝統的な信仰姿勢だ。彼らは周囲の指摘や忠告にまったく耳を貸そうとせず、法華経に名を借りた独自の理論で行動してきた。そんな彼らが同じ地域内に寄り集まって暮らし、仕事もまともにしないで自己正当化の主張や行動を繰り返してきたことをこのサイトで指摘してきた。真実を指摘されると、人間はある種痛みを感じる動物のようだ。本サイトが彼らに憎まれるのは、ただ単にそうした理由によると思われる。その心情の働きは、都合の悪い真実を暴かれて相手を疎ましく思う権力者の心理と何ら変わるところはない。

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