足軽3人組の「完全敗訴」のダメージ

繰り返しになるが、3月26日東京地裁判決の裁判において、実際は提訴からわずか半年後にはスピード判決が出される予定だった。このとき判決が出ていれば、門前払いとなっていたことも関係者には明らかだ。それが一転、弁論再開となり、詳細な本人尋問が行われた。小平、野口、滝川の尋問は主尋問と反対尋問を合わせて各90分行われ、計4時間30分かけて、丸1日を使って行われた。実際は3人がそれぞれ90分を固定されたわけでなく、合計で割り当てられた時間で合えばよいという対応だったので、結局、最初の小平が最も長い時間をかけて尋問を受けることになった。当初、教団側の弁護士は「こんな裁判にそれほど多くの時間をかけて尋問を行う必要はない」と主張していたが、裁判所の訴訟指揮でこれほどの時間が使われることになったのである。3人にとっては、ここまでは願ったり叶ったりの展開であっただろう。だが小平の尋問では、足軽会の解散時期についても、明白な虚偽証言が見られた。同人は、足軽会は「2004年に解散した」と法廷で言明してみせたが、その後も「同志の絆永遠」や「三世の不二の絆」などのメーリングリストでつながっていた事実を指摘されると、しどろもどろな返答となった。さらに2007年には一人の後輩を糾弾するため、足軽会メンバー10人で大挙押し寄せたことは前回のコラムで触れた通りである。結局のところ、足軽会という人間関係、組織関係は、2004年以降もずっと続いていたことは明らかだった。 それらの尋問内容も踏まえた結果、彼らが受けた決定的な判決内容は、「自らが反省を求められている問題を省みる姿勢を見せることなく、かえって、創価学会の池田名誉会長の指導等の一部を事更に強調して、これを大義名分として、創価学会の将来のための重大な問題であるなどと論点をすり替え、自らにこそ正義があり、その正義を通すために行動せんとする姿勢に陶酔するかのごとく被告に抗ったもの」と認定されるに至った。 一審判決にあるように、「池田名誉会長の指導の一部をことさらに強調し、論点をすり替え、自分の行動に陶酔」する姿は、判決後も何ら変わらないようだ。彼らにとってはむしろ2年半前に門前払いされていたほうがダメージは小さかったと思われる。その意味で、今回の判決内容は、3人にとっては完全に墓穴を掘ったものであり、彼らの今後の人生においても決定的なものに思える。

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