他人に責任をなすりつける行為

自分の身に危険がおよびそうになる、自分が批判の対象になりそうになる。そんなとき、人間は他人に責任をなすりつける行為をおうおうにしがちのようだ。特に「小心者」「小人物」の場合に起こりやすい。そんな事例は身の回りにもしばしば見られる。一方で個人ではなく、組織や団体間でもそのようなことは起こりうる。たとえば日本共産党は1952年当時、明らかな「暴力主義政党」と化し、その後の国勢選挙ではほとんどゼロの実績を積み重ねることになった。議席をほとんど取れなくなったのである。当然といえば当然であろう。そこでこの党は何をしたか。「平和の党」へ都合よく【衣替え】をすべく、路線を転換し、プロパガンダを始めたのである。その行為は現在に至るまで連綿とつながっている。

話を戻せば、創価学会という教団が戦後の布教活動を本格化させたのは1952年以降だ。特に1955年からは地方選挙に候補者を出すなど政治活動も参画するようになり、翌56年の参議院選挙では、初めて国政選挙に候補者を擁立させて3人を当選させた。その結果、落ち目となっていた共産党にとっては、手ごわいライバルが出現したように映ったにちがいない。教団に対し同党が行った行為は、「暴力宗教」のレッテル貼りだった。

それは冒頭に記した、自分の責任を他人にたすりつける行為にほかならなかった。

なぜなら教団は、日本共産党のように、人や公的機関に組織的に火炎瓶を投げつけたり、殺害したりした「実績」など、当然ながらただの一度もない。あえていえば、布教活動において多少強引と見られる面があったであろうことを否定はしない。真の意味で暴力を実行した政党本人が、他の団体に対し、「暴力」のレッテルを貼った。同党と教団との確執は、実は、このときに始まったものと私は捉えている。

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