空手雑感 12

空手にも多く使われる枕詞というものがあるようだ。例えば、「スポーツ空手」「武道空手」「実践空手」などがそれに当たる。もともと沖縄で発達した空手は、人を効果的に殺すあるいは制圧するための武術にすぎなかった。必然的に人間の急所を効果的に叩くことに重点が置かれる。本来は素手による殺し合いなわけだから、それを「試合」化することなど理念的に無理な話である。仮に真剣勝負でそれを行ったら、死人や不具者が続出するだろう。

それでも一つの武道が広がっていくには、わかりやすい形が必要である。そこで多くの人が競技化できないかを模索し、防具をつけての攻防などさまざまな取り組みをしてきた。その結果、フルコンタクトの空手競技は、急所である顔を手で攻撃するのを禁止するようなルールが生まれたわけだ。

冒頭の「スポーツ空手」は、試合化された空手という意味で、競技空手の別名と位置づけられる。競技化された段階で、本来の空手そのものとは似ても似つかないものに実は変質している。それでも観客は、試合で演出される空手こそが実際の空手と思い込み、つまり勘違いし、その結果、本来の空手と演出された空手とのギャップが生まれることになる。実はこれは永遠の課題ともいえる問題に思える。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。