自縄自縛に陥った小池都知事

小池知事が最もよいタイミングを見計らって衆議院選挙に出馬宣言をするという予測が飛び交っている。菅官房長官にいたっては、出てくるだろうと予測の発言を公にしていた。与党からすれば、都知事の椅子を放り投げて出馬してもらったほうが対立がより鮮明になり、戦いやすいというメリットがある。またそうして戦っても、政権を取られるには至らないという確信もあるようだ。

実際、小池知事が出馬を宣言し、たとえ一定の議席数を確保したとしても、それが自公の議席を上回る事態は想定しづらい。せいぜい、自公が過半数を割った場合に、連立の一角に入るのがせいぜいだろう。だがその場合、小池知事はそれ以上のはるかに大きな代償を支払うことになる。

平たくいえば、都知事職を放棄したという無責任さだ。都民に対する公約を守らない人間が、政党人として信頼されるわけがない。その意味で、私個人は、今回、小池知事は出馬しないだろうと見ている。むしろ、自身が出馬しない分、新党の風は大きく吹かなくても、一定の議席数を占めるとすれば、それが次の足場になるという考え方だ。

東京オリンピックの準備を抱える東京都知事として、東京五輪を成功に導けば、歴史に残る都知事となる。国政に打って出るのはそれからでも決して遅くはない。焦る気持ちはわからないではないが、出馬宣言したとたんに、小池氏は政治家としての生命と、都知事としてのポストの両方をいっぺんに失うことになる。私は今は知事職にとどまるしか、道はないと重ねて感じる者だ。

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

現在コメントは受け付けていません。