安倍晋三とゴルバチョフ

大晦日になると、その年に物故した著名人らを大きく掲載する新聞が多い。本年亡くなったうち私が最も印象深い3人をあげるとすれば、7月8日の安倍晋三元首相、8月30日のゴルバチョフ元大統領、最後に11月11日に自宅の火事でなくなった村田兆治・元プロ野球投手だ。安倍氏とゴルバチョフ氏はまったく異なる環境の国で政治家を務めながらも、その方向性も対照的に見えた。自由主義国の安倍総理大臣は独裁的な政治手法を身に付け、説明せず、情報公開も極力行わず、目先の政治がうまく回転すればよいという浅はかな手法を貫いた。一方でゴルバチョフ氏は、時代における自身の立ち位置や役割を明確に自覚し、大胆かつ果敢に時代変革に取り組んだ。共産主義国という独裁国家にありながら、その手法はあくまで民主主義のど真ん中をめざす理念に基づくものであり、情報公開に熱心に取り組んだ事実からも、安倍氏とは「正反対」の政治家だったことが明らかだ。安倍氏の政治信条は「政治は要領にすぎない」というものだったということで、「目先の問題しか対応せず、負担の議論を避ける政治の劣化が著しい」(本日付日経)状態をつくった罪はあまりに大きい。安倍時代は2012年から8年近くもあったにもかかわらず、年金制度の基本設計すら構築しないまま終わった。そのツケはこれから生きていく世代に、そのまま重くのしかかる。現在の日本に必要なのは、大きな見取り図の絵を描き、それに果敢に挑戦できる(たとえ失敗する結果となろうとも)政治家の存在だ。そんな政治家が、将来公明党の中から出てくるだろうと楽観的な予測を残したのは創価学会の第2代会長だったが、その予測は何十年たってもかなえられないままでいる。

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