一世を風靡する土壌

昨年は安倍元首相の銃撃事件に始まり、統一教会問題が大きくクローズアップされた。政権与党の公明党の支持母体である教団も一定の注目を浴びることにつながった。戦後、多くの宗教団体が政治への関わりを表明し、実際にトライしているが、現実に政党を結党し、それを存続させているのは公明党だけである。統一教会はそれを行うだけの基礎数を持たず、別の形での影響力確保を試み、無償での選挙の手足や、秘書として潜入するといった方法で影響力を及ぼしてきた。

戦後の一時期、教団内から複数の国会議員を生み出した宗教団体に天理教がある。天理教団は選挙疲れが宗教面に悪影響を与えたため、その後、政治とのかかわりをやめた。入れ替わる形で出てきたのが公明党だ。

公明党の支持母体である教団を考えた場合、鎌倉時代の日蓮仏教を信仰の対象としており、信仰内容にカルトといった側面はない。一方で現段階における教団の顕著な特徴は、公明党を一党支持していることであり、建前上は政治支援の自由はあるとされるものの、実質的には公明党支援を余儀なくされる面があることだ。

もともと教団における公明党支援は、一時的なものとみなされてきた経緯があった。数十年もたてば一世を風靡する力ある政治家が出てきて、そこから新たな政治勢力がつくられ、教団による一党支援の態勢も必要なくなるものとされてきた。だがそうした将来展望は一向に見えてこない。

公明党が与党に復帰して10年。教団会員の高齢化とともに、得票数も必然的に減少しており、支援団体としての影響力低下も取りざたされる。

教団としていつまで政治支援に関わるのか。そんな空気が強くなるとすれば、それは公明党の働きと車の両輪ということになるのだろう。「さすがにこの党があるから安心だ」と感じる人が世の中に増えれば増えるほど教団の労力は減り、逆になると、教団の政治支援は重いものとなる。

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