東村山市議の闇10 ノンフィクションの駄作

矢野穂積が警察の現場検証も終わらない段階から「朝木さんが殺された」とメディア関係者に訴え始めた事実は動かない。その上でその主張を鵜呑みにした人間がいたことも周知のとおりだ。フリーライターの乙骨正生は矢野にとって使い勝手のいい手駒ともいえたが、同人が上梓した著作『怪死』(1996年)は、矢野による情報操作の実際を具体的に伝える内容となっている。矢野から乙骨への電話が9月2日の午前6時の段階でなされたことを記述しているほか、より重要なことは、転落事件直後の9月5日に東京地検八王子支部で朝木明代の事情聴取が行われることが決まっていた事実について当初矢野から乙骨に具体的に伝えていないとみられることだ。客観的な状況を説明するのではなく、自らにとって都合のいい事実のみを伝え、都合の悪い事実をあえて伝えない。そうした矢野穂積の姿勢が見事に痕跡をとどめた書籍である。たとえば午前6時になされた電話では、矢野穂積は真っ先に次のように告げている。

「朝木さんが殺されました」「東村山駅前のビルの上から突き落とされたようです」

ところが現場の科学捜査からは、突き落とされた際に残るはずの痕跡は皆無だった。落下の仕方、争った場合に体に残るはずの明確な防御創やボタン飛ばし、争った声など、現場で本人以外の第三者が関与した形跡は存在しなかったからだ。

『怪死』はあとがきでこう記す。「坂本堤弁護士一家殺害事件が、事件発生後、6年の歳月を経て解決したように、いずれ、朝木さんの死についても、その事件の全容と真相が解明される日が来るものと固く信じている」

6年どころかその4倍以上の27年が経過している。確かに事件の全容と真相はほぼ解明され、現場における自殺か他殺かという点は確定した。自殺だ。それらは明白な客観的証拠によって証明されており、あとに残るのはその動機だけである。

結論するに、議席譲渡事件からつながる朝木明代の万引未遂事件、それを隠蔽しようとした矢野と明代の工作、それら一連の行動を悪質ととらえた警察と検察。そのはざまの中で、明代は「草の根」の将来にとって邪魔な存在となり、矢野穂積によって激しく叱責されるなどして、自分さえいなければと突発的な行動に走ったと考えても何ら矛盾はない。その死を、後から自分たちに都合のいいように「改変」し、利用したのが矢野穂積と朝木直子の2人だった。それは自分たちに責任が降りかかるのを避けるために行った本能的な行動だったとみられる。

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