東村山市議の闇8 母親の死を弄び続けた娘

朝木明代の転落死に、もともと事件性はなきに等しかったといえる。現場で争った形跡がないこと、突き落とされた際に生じる放物線落下がなく真下に落ちたこと、発見直後の言葉が事件性を示唆しないものであったことなどが挙げられる。落下発生地点の現場の手すりからは、本人がぶらさがったと見られる跡さえ発見された。現場は東村山駅の至近距離で、マンション内は住民が行き来する人目につきやすい場所でもあった。だが警察の捜査結果が出る前から、一方的に「他殺説」を吹聴した人間がいた。矢野穂積である。朝木直子もその説に同調した。

この年の3月、オウム真理教が地下鉄サリン事件という未曽有の無差別テロ事件を起こし、教祖が山梨県の教団施設で捕獲されるなど、カルト宗教の存在がいやまして注目を浴びていた。幸い、朝木明代は地元で創価学会問題にからんでいた。矢野穂積はそうした社会環境を利用し「創価学会に殺された」と事実的根拠もなく、周辺のメディア人に発信を始めた。週刊文春、新潮、現代、ポスト、いずれも例外なく、この説に則った記事を掲載し、悪質とみなされた現代、新潮は教団から名誉毀損提訴され、メディア側が敗訴した(現代は謝罪広告も掲載)。

なぜ矢野は捜査も終わらない段階からこのような行動を始めたのか。いまとなっては理由は明白だ。じっとしていたら、万引き事件の検察聴取を苦にした自殺がバレてしまう。そうなると批難されるのは議席譲渡を行った自分と朝木直子だ。残された2人の利害は見事に一致していた。その意味で、創価学会は運の悪いスケープゴートの対象でしかなかったのである。

矢野と朝木は共著『東村山の闇』(2003年)において、「『手すり』の内側に自分たちの身を隠して、手すりぎりぎりに「ごろん」と横倒しに落とす」など、まるで見てきたような空想を書き連ねている。他殺事件とすれば、そのような手のこんだことをする必要はなく、坂本弁護士一家殺害事件のように人目の少ない山林などに運んで実行すれば済んだ話だろう。事実的根拠に基づかない妄想を書き記している点で、この書は逆の意味で貴重な証拠物だ。

ともあれ、矢野穂積の「邪知」に基づいて始まった教団謀略説は、オウム真理教事件という特異な事件があった年であったがゆえに、週刊誌メディアがいずれも飛びつく結果となった。オウム事件がなければ、その余地すらなかったに違いない。だが法廷に移った事実審理では、矢野らの主張は事実的根拠がないものとして、もれなく「完全」に排斥された。それから27年。新しい証拠は何も出て来ていないにもかかわらず、東村山市議である娘の朝木直子は教団謀略説をいまだに示唆する。ことしは統一教会問題が噴出し、1995年と似たような状況にあるからだろうが、彼女は自己本位の理由から、27年間も母親の死を弄び続けている。

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