東村山市議の闇7 朝木明代の転落死

東村山市の人気市議だった朝木明代がビルから転落死したのは議席譲渡事件が発生して4カ月後のことである。この4カ月間、明代に相当の心労がたまっていたことは間違いなかった。要因はすでに記したとおりだ。矢野穂積と朝木直子の連携プレーによる違法な議席譲渡に加え、2人の関係性、さらに自身が起こした万引き事件が新聞沙汰となり、数日後には東京地検の事情聴取が控えていた。「草の根」という会派にとって、絶体絶命に陥っていた同じ時期、この転落死事件は発生する。

現場となったのは東村山駅前の近い繁華街のマンションビルで、1階にモスバーガーが入っていた。朝木明代は居住者用のエレベーターで上のほうに向かい、そこを降りて、5階と6階の踊り場付近から転落していたが、落下の軌道は壁沿いに真下に落ちていた。「ためらい自殺」の物証というべきものだが、本人がぶらさがった痕跡も現場には残されていた。

要するに、飛び降りようと思って手すりの上に立つなどしてみたが、恐くなって、いったんは手すりにぶらさがり、そこから真下に落下したことを示していた。住民は「キャー」という女性の悲鳴だけを聞いているが、それは実際に落ちるときに発した朝木明代の声とみられる。

重要なことはそこで争った形跡が皆無であったという事実だ。私も現場に住む住民に直接確認しているが、現場は夜は静かで、エレベーターの開閉の音さえ響くような場所だった。そこで複数の人間が言い争いなどすれば、住民には確実に気づかれるはずとの証言を耳にしている。

転落した後、朝木明代は生きていた。ただしすぐに発見されることなく、モスバーガーの女性アルバイトがゴミを捨てに現場近くをたまたま通りかかるまで放置された状態だった。見知らぬ女性が倒れていることを発見したアルバイト店員は朝木明代に声をかけた。そこで明代の第一声は「だいじょうぶです」というもので、だれかに突き落とされたという被害を訴えるものでもなかった。朝木明代は救急搬送され、日付が変わった9月2日未明、搬送先の病院で死亡が確認された。このとき、朝木明代の死亡が「自殺」になると困る人物が2人だけいた。いうまでもなく、矢野穂積と朝木直子である。

2人の議席譲渡が発端となって、朝木明代はたいへんな思いをすることになった。その精神的ストレスから万引き事件まで引き起こしてしまった。万引き事件で検察の取調べがまじかに迫るなか本人が「自殺」してしまったとなれば、その責任は2人にそのまま降りかかる。ずる賢さでは人後に落ちない矢野穂積が考えた行動は、その後の経過を見れば明らかだった。

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