公共対決 自治体議員数の攻防

日本共産党が躍進した時期は同党の認識によると3回ある。70年代、90年代後半、2010年代半ばの3回だ。このうち自治体議員が最も増えたのは2回目の90年代後半の時期。全国で4400を超える自治体議員が存在した。現在2500にとどまるのを見ても、その差は歴然としている。長年のライバル政党とされてきた公明党は、その時期、共産に遅れをとっていた。だが公明党は現在は2900近くと、共産を凌駕する。どの時点で逆転したのか。振り返ってみると、統一地方選挙がそのきっかけとなる。共産優位の地方議員数がひっくり返ったのは2011年の統一地方選だった。この時期の特徴は2009年8月から民主党政権となっていた背景が極めて重要だ。日本共産党は独自性を発揮することができず、多くの自治体で民主党議員が高得点をマーク、共産候補がボロボロと落選した。このときの「退潮」がいまだに尾を引いている。一方で、2010年代半ばは、安倍一強の時代と重なり、日本共産党にとってこれほど有り難い時代はなかった。党の存立理念が明確になったからだ。野党勢力の政権では存在意義を失い、反対の立場の政権で存在感を発揮する。この事実は皮肉だ。その意味で、ハト派の岸田内閣になっていちばん困っているのは日本共産党だろう。だがその岸田政権も安倍政治をいまだ引きずったままの状態であり、国葬反対などいくらでも取っ掛かりがある。岸田内閣が本来のハト派色を鮮明にするとき、日本共産党は再び色褪せる時代へと移る。

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