自衛隊をめぐる社会的反転

30年ほど前、PKОに文民として参加した。当時の国論を二分したカンボジアPKОだったが、施設大隊としての自衛隊だけでなく、選挙監視員も非公式な募集が行われたからだ。派遣直前に日本人の文民警察官が銃撃され死亡したり、日本人の国連ボランティアも亡くなった。選挙監視員にも辞退者が出るなか、自分たちも襲撃される夢をみたことを今も思い出す。文字どおり、「命をかけて参加した」と言えなくもない。当時、タイのパタヤで世界から集まって研修が行われていたが、わざわざ日本から宿舎まで電話してきて、私に参加を見合わせるように勧めた見知らぬ男性もいた。それから30年。自衛隊をめぐる国民社会の目は明らかに変化した。それまで日陰に近かった自衛隊の活動が目に見える形に可視化され、加えて近年増加する自然災害での活躍も目立つようになり、国民の好感度はアップした。それに乗じて、「政治的責任をとれないはずの立場」の元自衛隊幹部らが、政治判断に関わるようなレベルで自分たちの省益拡大行動にあからさまに走るようになった。こうした歴史の反転を見る中で、さらに30年先の世界に、どのような未来が横たわっているのかいまがその分岐点にあることを痛感してやまない。1945年の結末に戻るのか、過去になかったような新たな時代を迎えるのか。現状を見ている限り、前者の結果を迎える可能性のほうが高いと危惧する。要するに社会全体として歴史の教訓を学び取る姿勢に欠け、同じ過ちを繰り返す可能性のほうが高いと心配するからだ。

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