政治にウソを持ち込ませない潔癖性

政治家にもっとも求められる資質とは何か。国政についていえば、それはウソをつかないという姿勢が最優先であると確信する。それはそのまま有権者に対する誠実性と同義だ。この姿勢は与野党を問わず、共通するものだろう。日本共産党は8月1日付の赤旗日曜版でも、志位委員長が顔出しで「五輪より命が大切」などと訳知り顔で主張しているが、ならば日本共産党が大切と主張しているひと様の命をかつて直接的に奪った責任について厳しく問われることにつながる。要するに言行不一致は、ウソと同じだからだ。同じことは政権与党にも求められる。与党についてもウソは許容されない。ウソとゴマカシでたとえ政権を多少「長め」に存続させたとしても、歴史の検証には耐えられない。もしそのような気持ちがあるとすれば、それは歴史に対する冒とくというものだろう。公明党はもともと清潔・潔癖さを売り物にしてきた政党だ。ドロドロの自民党の中にあって、その性質を発揮できるかどうかこそが、そのまま大衆的な支持を得られるかどうかという結果に直結する。その方程式は揺るがないものと確信する。

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