歴史修正主義者の思考回路

昭和の日本国敗戦から75年を迎えた。久しぶりに靖国神社で行われた戦没者追悼国民集会をオンラインで見た。意外だったことは視聴者の数がさほどでもなかったことだ。主催者発表では「2万人を超えた」と自慢していたが、ユーチューブでは3600人がマックスだった。この数は7月の日本共産党のオンライン中継の参加数(目視)の4割以下でしかない。ただしそれは概数の確認であって本質ではない。

靖国神社をいまだに尊崇する人びとは別にいても構わない。信仰の自由だ。ただしこの神社は国策でつくられた明白な戦争慰撫神社であることは明白だ。百田尚樹という人物は上記集会でビデオメッセージを寄せた中で、靖国神社を戦争神社と指摘する学者は「本当に日本人なのか?」などと煽っていた。裏を返せば、靖国尊崇の人間だけが日本人で、そうでない人間は日本人とは評価しないと言明しているに等しい。つまりそこには信教の自由も、内心の自由も存在しないかのような、共産主義のような独裁国家に等しい世界だ。いやより正確にいえば、過去の戦中の一時期の日本(大日本帝国)にほかならない。そうした世界を夢見る勢力が、いま、堂々と全国紙で雑誌広告の形でプロパガンダを続けている。

彼らは大日本帝国の信奉者なので、天皇は現人神に等しい存在だ。過去の日本軍が行った非行・蛮行という「事実」(=ファクト)よりも、天皇の権威のほうが重要とされる。その結果、櫻井よしこのように、事実として存在する南京虐殺事件を「濡れ衣」と叫び、事実をなきものに抹殺する。つまり本当のことを述べる者は抹殺されるという思想そのものなのだ。その点で、新型コロナの発生を知らせて逆に死亡した中国の医師らと似たようなもので、彼らの発想・傾向は実は人民を弾圧する共産主義者のそれとほとんど違わない。この矛盾が、この国を覆っている現在の矛盾と思われてならない。どちらも行き着く先は、似たような独裁主義国家だ。

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