いまの時代をどう捉えるか

現在の日本を「かなり右傾化している」と認識している人がいれば、一方でそうでないと反論する人がいる。わかりやすい事例を引くとすれば、旧日本軍の非行行為として歴史学(アカデミズム)の分野ですでに多くの客観的証拠をもとに「決着」している問題にすぎない「南京虐殺事件」がある。

1990年代の前半、この国ではかなりリベラルな政治が行われた時代として位置づけられるが、94年には「南京虐殺はなかった」と発言した法務大臣が即座に罷免されたことがある。これが当時の「時代の空気」だった。だがいまはどうだろう。同じ発言をしている国会議員出身の名古屋市長は現職にとどまったままだし、同様のことを国会で国会議員が主張しても何らの制裁も受けない時代である。明らかに時代は「変転」している。「時代の空気」は明らかに逆転している。

南京虐殺事件は旧日本軍が多くの人間を殺傷した日中戦争においてはその規模は全体から見ればけっして大きなものではないが、日本の国粋主義者が事実に反してそれを認めない言説を広げてきた結果(空中戦にすぎないが)、いまも中国にとっての「歴史カード」であり続ける現実をもたらしている。

結論として、正が正として認識されない時代、邪が正と認識される時代に私たちは生きている。このような時代が何を招へいするかは歴史は厳然と示している。「ファシズム」と「戦争」という2つの事柄だ。嘘が厳然とまかり通る社会は、この2つに顕著に親和性をもつ。心ある識者はそうした前提のもとでこれまで声を上げ続けてきたが、ここにきてそうした声が大きくなっている気配も感じられない。

大事なことは、自分の立ち位置において、声を「発信」し続けることだ。事実が事実として認識される時代に、日本社会を戻さねばならない。

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