血のメーデー事件から68年

日本がGHQから独立して直後の1952(昭和27)年5月1日、メーデーの集会は血にまみれた事件となった。日本共産党の組織的な煽動により、治安当局と正面からぶつかる流血の事態となり、1000人規模のけが人と逮捕者を生んだ事件として知られる。翌月は大阪で、さらに翌々月は名古屋で、同じような流血事件が起きた。当時まだ朝鮮戦争が続いていた時代。日本共産党はソ連のスターリンから指令を受け、日本国内でさまざまな暴力事件を惹起し、侵略戦争を後方支援した。当時の朝日新聞は「集団テロ」と題する連載記事を掲載し、毎日新聞は日本共産党を指して「暴力主義の党に疑問」の見出しで批判した。これらの社会的事件により当時の大衆から完全に支持を失った同党は、数年後、議会で多数をとる平和主義路線に変更して現在に至る。私自身も若いころ日本共産党を「平和の党」と信じる過ちを犯した浅はかな人間の一人だが、同党の本質は、実際はこうした「暴力」で形成される。むしろ冷静に考えてみれば、暴力を伴わない共産主義革命などありえない。その意味で、同党の本質は、羊の仮面をかぶった狼のようなものだ。同党を羊だと勘違いして、エールを送る知識人が今もなんと多いことか。本当の「爪」は、奥深く、大衆に見えないように隠されたままだ。

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