安倍晋三は権力の私物化が共産主義レベルだ

日本共産党が政権入りするとどのような事態が出現するかを日本の過去の事例に求めるとすれば、かつての京都府政がいちばんわかりやすい。1950年から78年まで7期28年にわたった蜷川虎三知事の府政は、後半はほとんど共産党政権といっていいものであり、その政治権力は日本共産党の党勢拡大のために「私物化」された感が顕著であった。この蜷川府政の罪悪を指摘したノンフィクション作家に本田靖春という人がいる。当時の月刊諸君などに発表された作品にあらためて目を通してみると、当時の京都府政は、現在の安倍政権とよく似ていることに気づく。権力を民主的に用いず、「私物化」するという一点において酷似しているのだ。

三権分立の名に値しない検事総長人事を前提にしたとする強権的な定年延長などはその極みだが、それ以前から公文書の改ざん、虚偽答弁などなんでもありだった。かつての森友問題などについて、ジャーナリストを称する門田隆将などは「なんの証拠もない」などと安倍政権をこれまで擁護してきたが、これはピエロあるいはチョウチョの類の行動にほかならない。 権力を私物化するような政権を擁護するのは、消極的擁護であっても悪にほかならない。公明党がなぜこのような破廉恥な暴走行動に無言でいるのか、私は不思議でならない。

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