偽りの阿部日顕法主

日蓮正宗前法主である阿部日顕(1922-2019)が昨年9月に死去した際、その死相がきれいであったとかなかったとかの議論が日蓮正宗関係者とそれ以外の関係者で争われる事態が生じていたが、小生はそうしたことにほとんど関心がない。ただハッキリいえることは、阿部はその生涯において法華経に必然ともいえる難をなんら受けていないという事実である。

阿部が生涯において難局にあった一つは、シアトル事件とよばれる過去の同人の起こした事件であろうが、これは「虚言」ではなく、「真実そのもの」の事件であった。

過去に米国シアトル市に出張御受戒に派遣された同人が深夜、繁華街で警察沙汰になった事件で、原因は地元売春婦との支払いをめぐるトラブルだった。

後年この件を報道された阿部は名誉棄損による民事訴訟を提起し、尋問のために自ら3回も東京地裁に出廷したが、結論として一審では真実性(相当性ではない)が認められ、完全敗訴した。要するに、事実に基づいて正当に批判されただけだったのである。

これでは法華経ゆえの難とはいえず、単なる「自業自得」「因果応報」の結果にすぎなかった。自らの不始末が招いた出来事にすぎなかったわけである。

時の法主がこのような人物だったため、それに付き従う妙観講なども似たような性質を帯びていた。現在、このグループは顕正会と戦うことで宗内における存在意義を高めようと躍起になっているようだが、所詮は「偽物」の阿部日顕に従ったグループだけに、どのような行動を取ろうとも「偽りの眷属」である事実は終生変わることはない。

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