山口敬之という人物の周辺について

伊藤詩織という女性が元TBS記者の山口敬之という男性に酔いつぶれて意識のない状態で無理やりに性行為をされたとして民事訴訟を起こしていた裁判で、先日、東京地裁は事件の存在を認め、山口敬之側が330万円の賠償義務を負う判決を言い渡した。この事件、両方の言い分を遠くから眺めていると、どちらも確信をもって主張しているようにも見えるが、一方が完全なウソを述べている構図は明らかだ。私が気になるのは、山口という人物の周辺にいる者たちのレベルだ。例えば昨日付の産経新聞紙上で、花田紀凱という編集者が自身の連載コラムにおいて、「自称ジャーナリストの伊藤詩織氏が、ジャーナリストの山口敬之氏を訴えた民事訴訟で~」などと書いていた。要するに「自称ジャーナリスト」という表現の問題だが、これは相手を侮蔑するときに使う悪意ある表現だ。花田紀凱という人物は、かつてアウシュビッツはなかったかのような記事の責任を取らされて文藝春秋社を追われ、近年は南京大虐殺はなかったなどの主張を大元にする雑誌で「商売」を行ってきた人物である。まともな言論人からすればファクト感覚の極めていい加減な人間であり、上記のような表現でコラムを書いていること自体、大きな問題に思える。

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