卑怯な生き方を擁護する「門田隆将」の同類性

本日付産経のコラムで、門田隆将が「『桜国会』記事 誰が読んだのか」と題して、桜を見る会の問題で新聞が多くの報道をなしたことを批判している。要するにほかにもたくさん新聞や野党は取り上げるべきテーマがあるのに、この程度の問題にうつつを抜かしている現状は、日本の崩壊につながるといった主張なのだ。はたしてそうだろうか。 時の最高権力者である総理大臣が政治資金規正法違反まがいの行為を行っていることが発覚し、さらに証拠隠滅としか思えない文書廃棄を行い、国会でもまともに説明を行わない。そんな事態をマスコミが批判すること自体を、門田は批判しているのだ。 結局のところ、いつもながらの安倍晋三の“忠犬”ぶりを発揮しているだけの姿なのだが、こんな人物が「ジャーナリスト」を名乗っているわが国の現状こそ、亡国の姿にしか映らない。 例えば子どもが悪いことをした場合、こういう手合いは、「悪いことをしても見つからないように証拠を捨てればいいんだよ」などと奨励する教育を行うのだろうか。彼が行っている主張は、子どもたちにこうした行動を奨励しているに等しいものである。仮にそのような教育がまかりとおれば、それこそ「日本は終わる」だろう。 安倍晋三という、政治家としては単なる「卑怯者」に過ぎない生き方を擁護することは、そのまま自身も「同類」であることを自白するに等しい。その自身の姿を客観的にとらえることのできない門田隆将自身こそ、実は(精神的な)「病(やまい)の主」であって、けっして新聞が悪いわけではないのである。

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