謀略紙『慧妙』に書かれない“不都合な真実”

日蓮正宗の前法主・阿部日顕が9月20日に死去したことで、『慧妙』が追悼の紙面を掲載している。「前御法主・第67世日顕上人御遷化あそばさる」という大見出しのもと、記事には「御歴代上人のうちでも最長寿を刻まれた」「宗祖以来の富士の清流を守り抜かれた」などの美辞麗句を散りばめている。だがそこには阿部の《真実の姿》はどこにも書かれていない。阿部日顕といえば、まず第1にシアトル買春事件だ。1963年、米国シアトルで行われた日蓮正宗初の晴れある海外出張御受戒に派遣された阿部は、日中の聖職者としての仕事を終えると、夜は自由行動になったと勘違いし、一人でイソイソと買春街に足を運んだ。白人女性を買うのと、その裸体を自分のカメラに納めるためである。ところが英語を満足に話せなかった阿部は支払いをめぐりトラブルとなり、現地警察のやっかいに。身柄を引き取るために尽力したのは地元の創価学会の女性だった。その女性に、阿部はずっと頭があがらなかったという。第2に、阿部は創価学会を切り捨てた張本人だ。第1に見られるように、日蓮正宗が戦後急速に発展したのは、創価学会員の布教拡大の努力のたまものだった。その結果、戦後の一時期、日本最大の教団となった日蓮正宗は、いまや静岡県の田舎寺にすぎなくなった。再び元に戻ったのである。阿部日顕の一生は、いうなれば「日蓮正宗を破壊する生涯」だったと言える。

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