安倍政治と共産政治、どちらがマシか?

「安倍政権ノー 審判を」。これは日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」に連日のように踊っている見出しの一例だ。共産党にとっては安倍首相の存在は、実はとても大事だ。対立軸を示すには打ってつけの相手であるし、批判票を取り込めば、一定の受け皿になれるとのヨミがずっとある。だが同党の言う「安倍政権ノー」の後に、どのような政治が待ち受けているのだろうか。同党にとっては「あわよくば政権入りも」の下心があることは言うまでもないが、その先にあるのは間違いなく、日本の壊滅である。民主党政権の失敗にみるだけでなく、そのような事例は世界にも無数に転がっている。いまの北朝鮮にも見られるように、権力闘争によって、実の兄弟まで平気で暗殺する国や気に食わない相手は都合よく罪状をデッチ上げ、殺してしまう国に変質していくだろう。日本共産党自身、過去には人殺しに手を染めてきた「日本唯一」の政党である。だが多くの左派系文化人は、安倍政治の受け皿として同党に期待し、過去の罪責など忘れたかのような姿だ。目先の状況でなく、歴史的に同党の行動をながめた場合、日本共産党が支持できる政党ではないことははっきりしている。野党第一党の立憲民主党は、共産党のような「革命政党」に安易に頼るのは自らの政治生命を滅ぼしかねない危うい路線であり、たとえ時間はかかろうとも、堅実野党として結集を図る道を模索していただきたい。それが日本のためである。

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