師匠に何とかしてもらいたいという発想

 池田名誉会長が法廷に立ったことは、私の記憶の範囲では過去に3回あった。一度目は自身のえん罪事件で被告人として大阪地裁の法廷に出廷したいわゆる大阪事件の刑事裁判。あとは山崎正友の刑事裁判、月刊ペン事件と呼ばれる刑事裁判の計3回である。
 すでに2010年6月には体調を崩したという理由で第一線に姿を見せないようになって6年以上がすぎる。日本の大教団を率いてきた事実上の指導者であり、マスコミの関心度も高い。その名誉会長が、民事裁判とはいえ、証人として公の「法廷の場」に出廷するということになれば、マスコミの好奇の対象となり、週刊誌などでも面白おかしく報じられたことはほぼ間違いない。
 元職員3人が自分たちの私的な民事裁判のために、池田名誉会長を証人申請したのは2014年。懲戒解雇の無効を求める裁判においてである。この事実は、この裁判記録を閲覧すればだれでも確認することができる。
 創価学会の進展とともに、それを怨む勢力は常に存在し、池田名誉会長は一貫してその“標的”とされてきた。これは歴史上の事実であり、会員の多くはそのことを程度の差はあれ認識している。国会の場に招致しようという動きも一時期には常に存在した。そうした名誉会長を、すでに体調を崩していることをわかったうえで、彼らは自分たちの私的な裁判のために呼ぶ手続きをとった。
 師匠と弟子との一般的な関係においても、師匠に何かしてもらわないと何もできない弟子とはどういう存在か。師匠を社会的に“晒し者”にしてまで、自分たちの主張を押し通そうとする輩たち。こんな「弟子」らが、はたしてまともな弟子たちといえるのだろうか。

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