カルト化する一方の福岡一味

 すべて我々が正しい、学会本部は間違っている――。職場や教団組織に多大な迷惑をかけ、追い出された人間たちが、自己正当化の論理をあからさまにしている。これらは過去の教団脱会者とウリ二つの行動といえよう。
 彼らの主張を要約すると、(1)池田名誉会長が表舞台に出なくなってからの公明党の政治路線はおかしい(2)聖教新聞社で起きたとされる金銭横領疑惑なるものの内容を公開せよ――ということのようだ。池田名誉会長が一線から姿を見せなくなったのは2010年。公明党の政治路線の転換は、与党化した1999年からすでに始まっており、別段、池田名誉会長の実権の有無と因果関係はない。また教団内における金銭的不祥事を明らかにせよという主張だが、彼らの主張は所詮は伝聞ベースにすぎない。さらに社内の問題を社外にすべて公にしている団体があるなら教えてほしいくらいだ。すべてその組織内における判断において処分が下されるのであり、上記に類すると思われる問題も処分は済んでいる。一方で、除名された足軽会の3人は、教団における段階的な処分を受け入れることなく、最後は懲戒解雇処分となった。受け入れて反省するか、受け入れないままで開き直るか――。この違いは一般常識で考えても明白と感じる。
 なお本部職員の不祥事を金銭疑惑に限るのもおかしな話だ。過去に聖教の大記者と呼ばれた人物が、私的な女性問題で失脚したケースなども、その内容を平等につまびらかに情報公開すべきということにならないか。小生にとって、彼らの線引きはよく理解できないものである。要するに、問題を起こしたとされる職員がいまだに解雇されておらず、自分たちが解雇されたのはおかしいと言い張りたい、あるいはそのように強弁したいということのようだが、そうした違いが生じた理由は実際は簡単なことだ。
 彼ら(=足軽一派)は、一切の非を認めない。集団で個人を威圧する。自分たちだけ正義を主張する。そうした≪カルト的体質≫が、一般社会と共通の「常識」を保有する教団職員としては容認されなかったということにほかならない。自身の足元を見つめることのできない者たちは、どこまでいっても暴走を続けるしかない。これら一連の行動を“主導”している人間は、本当に罪深い。

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