妙法のジャーナリスト

創価学会員はよく「妙法の~」という言い方をする。かつてはよく聞いた気がする。~はその人の職業が入ることが多い。ラーメン屋、八百屋、何でもよい。法華経という信仰をしていることの内的変化が、職業の姿勢にも一定の差異を生み出すということを意味する。私がこの言葉にこだわるのは自身の人生の価値と突き合せた場合にどうしても避けて通れない面があるからだ。ジャーナリストや文筆家が問われるのは、生涯、仕事をした過程で何を残したかであって、それはその人の作品や書いた物の集積によって計られるからだ。一般のジャーナリストと妙法のジャーナリストは何が違うのか。まず視点が異なる。妙法のジャーナリストは信仰という基底部から「人間主義」に立脚する。ちなみに私にとって人間主義の逆は官僚主義だ。あとは生命尊厳、人間の絶対的平等、普遍的な価値観など。ひとつだけ付記しておくべきことは、妙法のジャーナリストも、ジャーナリズムの基本条件の範疇にあるということだ。ある種の団体や組織を擁護するために、「事実」を捻じ曲げるようなことはしないし、ありえない。反面教師としては、ネトウヨや日本の靖國主義者らが、かつての日本軍を擁護するために、歴史的事実をいいように捻じ曲げるような行動が挙げられる。あのような行動は決して取ってはならないということだ。ファクトやエビデンスに従うのが、ジャーナリストという仕事の職業倫理であり、妙法のジャーナリストもその範疇の中にある。出でよ、妙法のジャーナリスト!

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