権力の私物化

異なる国の2つの出来事を見ていて共通点を感じてならない。一つは大阪地検のトップにいた男性が部下の女性への不同意性交の罪を初公判でいったんは認めたものの、一転して無罪を主張するように変更したという驚くべきニュースだ。事実関係は明らかなように見え、女性がウソを言っているようには全く見えない。その意味ではこの男性は人間としても、男性としても最低ランクの人物であり、権力をもつ資格のなかった人物に映る。一方で、韓国で起きた戒厳令騒ぎも権力の私物化の象徴だろう。尹大統領らは国会議員が集まって非常戒厳の解除要求決議ができないようにするため、戒厳軍の司令官に、あえて可決に必要な議員数(150人)に「なってはいけない」と指令したとされている。いずれも公益に奉仕すべき立場の人間が権力を「私益」のために悪用した実例にも思える。このような事態は公権力においても、民間の私権力においても往々にして発生することだろうが、問題は権力を行使する立場の人間が、必要な心構えや注意すべき要諦を備えているかどうかということではあろうが、民主主義社会ではそのような暴走が起きないようにするための監視機能や装置が備えられているという意味で、その点だけでは、独裁型政治よりシステムの上ではマシということだろう。

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