サイコパス性について

その人物がサイコパスであるかどうかの判断は厳密にはその道の専門家が行うべきものだが、一定の法則をもとに一般人でも大方の判断を下すことは可能だ。例えば連続殺人犯の多くはサイコパスであるとの法則からすれば、座間市で起きた連続殺人犯はその可能性が極めて高い。その犯行内容に良心の呵責がないことは明らかである。同じように良心の呵責があるかどうかはサイコパスかどうかを判断する上での大きな判断基準のひとつだ。

サイコパスは本能という情動をコントロールすることが苦手だ。好きなものを好きなように奪い取る習性がある。金を巻き上げたり、好きなように相手の貞操を奪うこともへっちゃらだ。

すでに民事裁判になっている伊藤詩織さんの事件の場合、はっきりいえることが幾つかある。一つは女性とテレビ局男性との間には、圧倒的な立場の差があったという事実だ。一方は職をあっせんする立場にあり、一方はそれを請う立場にあった。少なくとも、同等の関係ではない。また年齢も、親子ほどに離れている。なおかつ、女性は男性側も認めるとおり、かなり酒に酔っていて、嘔吐を来り返しているような状態だった。そうした女性と、男性はホテルの自室内で実際に性行為をおこなっている。この事実は重い。

はっきりと結論として言えることは、男性が性行為さえ行っていなければ、このような事態には陥っていなかったという事実だ。このような事態とはレイプされたと記者会見され、本まで出版され、社会的関心事を集めている今の状況である。

公開情報を総合する限り、男性側の対応はかなり場慣れしたものだ。初めてのケースとも思えない対応ぶりを感じさせる。

この事件で、冷静な状況下での、女性側の「同意」が存在しなかったことは事実そのものであろう。

私はこの男性に対して一定のサイコパス性を感じる者だが、実際にその判断を下すには、この男性の過去の行動歴のファイルが必須となる。もし仮にサイコパスの場合は、同じような行動を過去にも繰り返しているからだ。

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