宮本顕治と志位和夫の違い

日本共産党の歴代指導者を比較するのは恐縮だが、現在の政治状況から一つの考察として成立することは間違いない。まず戦後の日本共産党を建て直し、現在の形にした最大の功労者が宮本顕治氏であることは客観的に明らかだろう。志位和夫氏はその宮本氏から見込まれ、若き書記局長として抜擢されて、現在(議長)に至る人物だ。2人の最大の違いは第1に生きた時代環境の差だ。宮本氏は同党がまだ「非合法」の時代に入党し、大日本帝国による政治弾圧、自らの入獄を経験したひとりの「革命家」といえる。一方で志位氏にはそのような直接的政治体験がない。いわばサラリーマン職員上がりだ。繰り返しになるが、宮本氏は戦後の分裂した同党を建て直し、一つの発展モデルを形成した。党員が多くいた時代だったので、少数の異論を排除しても、党そのものが揺るぐような時代ではなかった。だが現在は、環境がまったく異なる。同党の党員は減る一方で、理論的にも世界で成功した国家は存在しない。そのような主義にしがみついて、理論を適当に変化させながら、日本共産党は現在に至る。そうした時代環境の変化のもとで「異論を排除する」宮本時代と同様の政治システムは機能しなくなった。そのことを理解していなかった市田副委員長あたりの助言を聞いて志位氏は同じ行動を昨年冒頭、発動したと考えられているが、時代を読めない政治指導者は、政治家としてはやはり失格条件となる。同党を現代風に開き、寛容化させ、包括的政党に作り変える。時代が求める方向はむしろそっちであったのに、あべこべに《逆噴射》してしまった。組織・団体の重要要件は、トップ層の判断能力と実行力にある。最高指導者が的確に時代を見据えることができない政治勢力は、当然ながら衰退するしかない。そのことはすべての政治団体にあてはまる。

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