ホモ・サピエンスの宿命転換

「親戚」という言葉が存在する。主には「6親等」くらいの親族関係を指す言葉と理解されているが、考えてみればアフリカに住む見知らぬ黒人のだれかも、遠い親戚であることは間違いない。現在、地球上に生きている人間はみな同じ「種」の生き物であり、血がつながっていることは明らかだからだ。同じ感情をもち、同じ人体構造を有する。多少の肌や目や髪の色の違いはあっても、同じ人間にちがいない。過去にネアンデルタール人を含め地球上には多くの人類が生息したが、結果的にホモ・サピエンスだけが生き残った。いまこの人類が問われているのは、自分たちでつくり上げた科学文明が、地球を破壊し、自分たちの生存すら危うくなっているという“愚かな状況”を克服できるかどうかだ。温暖化ガスの排出をやめなければならないとわかっているのに、たくさんミサイルをぶっぱなし、感情にまかせて好き勝手に人間を殺す。いったん事故が起きれば取り返しがつかないことをすでに一度体験しているにも関わらず危険なエネルギー源に回帰する。世間から叩かれるのはわかっているのに銭ゲバとなって政治を行う。みんなみんな、同じホモ・サピエンスという「種」が起こしている問題だ。

この「種」に属する個々人は、内面に「思いやり」という名の『善性』をもち、自分だけが大切という『悪性』ももつ。善性を肥大化し、悪性を最小化しないと、もはやこの国で種の生存維持すら不可能な時代に入った。ホモ・サピエンスとしての人間精神の本質を説明し、前向きな解決策を説いたのが仏教の叡智といえる。それは「法華経」とともに受け継がれ、現在、世界に広まる。この叡智抜きに、世界の危機克服はもはや困難に思える。

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