悪しきナショナリズムを超えて

自分たちの国土や民族性に誇りをもつことは人間の自然な感情だ。だがその感情が他の国土や民族を“排他的”に扱った上での独善的なものになるなら、それは「悪しき愛国主義」と呼んでよい。この国はそんな「悪しき愛国主義」がはびこるようになって久しい。そのため日本国では、昭和の戦争の総括すらまともに行われないまま、当然ながら現行教育においてきちんと取り入れられることもなく、未来志向の国民性や社会性をもてずに戦後80年近くを過ぎようとしている。日本は終戦直後、公けの人間たちが自らの戦犯容疑を避けたいばかりに都合の悪い公文書を組織的にすべて焼き捨てさせ、隠蔽工作をはかった卑怯の国だ。戦後は戦中の非行行為について、証拠(文書)がない旨、現在の政府も強弁を続ける。一貫して流れるのは、フェアネスに欠けた精神性に尽きる。日本と欧米とを比較した場合、日本に最も欠けているのがこの「公正」の原則・精神性と、それに基づく振る舞いだ。その結果、情報公開にもはなはだ鈍感であり、国民や有権者をないがしろにする政治が現在も横行する。そうした悪弊を打ち破るには、「悪しき愛国主義」と戦う精神性こそ重要になると思われるが、党派性にからめとられ、そうできない人もいる。大事なことは、事実(=過去の歴史的事実を含む)に対して正直であること、公正を常に意識すること、左右ではなくヒューマニズムの精神に基づくこと。

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